2012年10月2日火曜日

「セシウムと心臓疾患の相関関係」ユーリー&ガリーナ・バンダジェフスキーへのインタビュー2012年9月Canard Plus ♡ Tomos und Entelchens Blog

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 「セシウムと心臓疾患の相関関係」ユーリー&ガリーナ・バンダジェフスキーへのインタビュー2012年9月21日 0:30



チェルノブイリ汚染地域の子供を 多数診察した結果、放射性セシウムが心臓疾患を引き起こすことを発見したのは、ベラルーシの医師ユーリ・バンダジェフスキーです。彼はこの事実を発表した 後、1999年収賄疑惑や国家転覆計画疑惑をかけられて投獄され、拷問などにも遭うことになりました。そのバンダジェフスキー夫妻へのインタビューを見つ けたので翻訳しました。発見にまつわる状況について詳しく語られていて、この発見がいかに医学的にも政治的にも重大な意味を持つのかが伝わってくると思い ます。

このインタビューはウラジミール・チェルトコフ監督がIAEAとWHOの癒着問題を暴いた 真実はどこ?
 用の撮影素材のようです。

ウラジミール・チェル トコフ氏はまた、チェルノブイリの事故処理を行ったリクビダトールの凄惨にして無残な生涯を取材した映画『サクリファイス』の監督だと教えていただきました。映 画『サクリファイス』(24分、日・英字幕付き)はこちらで見られます。

ソース

*****

■ゴメリ、2000年4月5日 Wladimir Tchertkoff によるインタビュー

インタビュアー:当時の選択を後悔されていますか? 家族問題を引き起こしたようですが。

ガリーナ:どの問題のことですか? 私たちがここに移住して来た時のこと?

インタビュアー:いいえ、お二人が発見をされて、その発見にブレーキを掛けた時のことです。

ガリーナ:私はブレーキなど掛けていません。一昼夜夫と話し合いをしてどうするかを決めたのです。長い議論でした。まずは家の中で。それから子供達の邪魔にならないように外に出ました。大声で議論しました。 

インタビュアー:外で?

ガリーナ:ええ、外のベンチの上で。涙が出るまで。

ユーリー:普段から私達が科学的な決定をくだすのには激しい議論が伴いました。もしかしたら女性の彼女は家族に面倒が降りかかることになるのを予感していたのかもしれません。

ガ リーナ:夫はテレビ番組に出演する決意をして、私に言ったのです。「どんな風に我々がこうした変容、放射能を原因とする心臓疾患を発見したか、すべてを語 るつもりだ。」と。 それを聞いて私は家に入って泣きました。科学評議会に私達が初めてこの研究結果を提示すると、全員が「ユーリー・イワノヴィッチ、大 成功だな!」と拍手をしました。なのに私は涙がこみあげてくるのを感じたのです。再び夫と激論しました。「番組放映後にきっとあなたは手錠をかけられる わ!」と私は言いました。「何を言ってるんだ!?」と夫。
ちょうどその時に監督(スバと言う名です)から電話があったのです。「おめでと う、ガリーナ・セルゲイエヴナ、番組は大成功でしたよ。ユーリーはすべてをはっきり提示してみせた。この番組は国民からも大きな反応を得ること間違いなし だ!」「でも心配なのは…」と私が言うと「何かご不満でもあるのですか?」と聞くので「ええ、もし夫に手錠が掛けられたらガリーナ・セルゲイエヴナはこの 世に独りぼっちになってしまいます」と答えました。すると「何をおっしゃるんです?我々は決してあなた方を見捨てませんよ!第一そんなことは起こりっこあ りません。あなたは女性だからあれこれ想像しすぎるんです。」と言う返事でした。「時間が経てばわかるでしょう」と私は答えました。
そして 本当に恐れたことが真実となり、私は独り取り残されてしまいました。独りきり。私は独りぼっちで空っぽのアパートに帰り、どこから手を付けたらいいのか途 方に暮れました。どこに行こう?誰に会いに行こう?最初に思いついたのは、何故かわかりませんが、厚生省に行くことでした。私達の大臣に会って、どうした らいいか、助言をしてもらおうと。厚生省で言われたことは「時期尚早です。いったい何をおっしゃろうと言うのです?」大臣の控え室で私は言いました「一つ だけ言わせてください。バンダジェフスキーは白衣を泥で汚してなどいません。あまり早急に彼を断罪なさらないでください。きっと後悔されることになりま す。」答えは「そのことについて話すにはまだ早すぎます。あまりに早すぎます。」その後スバ監督から電話がありました。「話を聞きました。あなたの電話は 盗聴されていることがわかっています。私はいかなる方法でもあなたのお役に立つことはできません。」

インタビュアー:それだけ?あらゆるケースに備えて事前にそのように言ったのでしょうね。

ガ リーナ:そうです。彼は私達の以前の会話を思い出したのです。それでこう言われました。「あなたの役に立つことはできませんが、よかったらロシアテレビの 誰かに電話をすることは出来ます。そしてあなたの電話番号を伝えておきます。後はあなたの思うようになさってください。彼に言うことや、あなたの立場をど う説明するか考えておいてください。泣いて、何かを守ろうとしてもいいでしょう。ただ私はこの問題にはこれ以上関わりたくありません。」

インタビュアー:空っぽの家に戻ってから、再び旦那様に会えるでまでどれくらいの時間が掛かりましたか?

ガリーナ:最初に面会を許されたのは…50日後でした。逮捕から50日後。大変公式なものでした。会った時、夫はすでに入院していました。逮捕から50日後、予審判事が公式に面会を許してくれたのです。

インタビュアー:ずいぶん沢山の門戸を叩かれたことでしょう。

ガ リーナ:数知れない住所を試しました。まず最初に試したのはゴメリのラジオ局です。そこで言われたのは「出来れば我々のところにはいらっしゃらない方が良 いです。我々は何も知りたくありませんし、あなたの問題に巻き込まれたくありません。我々は皆仕事が必要ですからね。」次に私は厚生省に行きました。出来 る限りの方法を試みました。

ユーリー:彼女は考え得るすべての場所に行ったんだ。

ガリーナ:だけどどこも門戸を閉ざしたまま でした。そして言われる言葉はひとつだけ「時間に任せなさい。」(ネストレンコ博士を指しながら)この人物に深い感謝の意を表します。彼だけが初めて何者 も恐れずに私に手を差し述べてくれたのです。本当は彼ほど私達の状況を恐れなければいけない人間はいないのに。終始私を支えてくれました。助言が必要な時 にはミンスクの彼のもとを訪れました。彼は経済的にも助けてくれました。ポケットからお金を出して「どうかこれで何かを買ってください」と言うのでした。 一方他の人々と言ったら…。
「夫に荷物を送るために支援してもらえますか」なんて物質的な援助は頼む気にもなりませんでした。私が望んでい たのはただ一つ:みんなが夫を信じてくれること。夫が十年間に渡って家族を犠牲にしてまで続けた仕事の助手だった弟子達が彼を信じ続けること。夫は十年間 に渡って朝の七時から真夜中まで、膨大な量の仕事をこなしていました。祝日にも、私は「どこかに行きましょう」なんて提案出来ませんでした。祝日さえ、働 き続けたのです。絶えず仕事、仕事、仕事。その仕事が導いた先がこれでした。
私達が、心臓発作と放射性セシウムの体内への蓄積との間に相関 関係のあることを発見した時、家族争議になりました。激烈な争議でした。何故なら私はこの相関関係を認めたくなかったからです。これは発見でした。私達は 何か新しいこと、今まで知られていなかったことを発見している真っ最中なのでした。そして夫は「これは事実なのだよ」と私に言い、「二人で一緒にこの相関 関係について論文を書くのだ」と言うのでした。彼は論文審査官でしたから。

インタビュアー:何故あなたは相関関係を認めたくなかったのですか?

ガリーナ:私は違う考えだったのです。怖かったから。この発見が怖かった。

インタビュアー:どうして?


ガリーナ:第一にたぶん、新しいことだったから。

インタビュアー:しかし科学的成功ではないですか?

ガリーナ:成功ですけど…、私達の国では放射能についてこれほどの公表の行われたことはないのです。

ユーリー:放射能について語られることはなかったんだ。

ガリーナ:そうなんです。幼児における放射能の影響について語られることはありませんでした。いろいろな国から委員会や検査官が小児科を訪問しに来て「放射能に由来する疾患は見られますか?」と質問するのですが、答えは決まって皆「甲状腺癌」の一辺倒。

インタビュアー:それだけ?

ガ リーナ:それだけです。私はゴメリに来てすぐに子供達、年齢の行った子供達の聴診を行いました。そしてすぐ、子供達の間で不整脈があまりに頻発することに 衝撃を受けたのです。薬剤調整を施さなければならない子供もいるくらい強度の不整脈です。不整脈を矯正する治療を受けるためにミンスクまで行かなければな らないケースもあります。これはかつては成人だけの問題だったのに、今では子供達がそうした治療を必要としていたのです。グロドノ市にいた頃に子供に不整 脈が観察されたら、稀有な現象と捉えられたものでした。稀に見る深刻な事態で、即座に治療が必要とされました。
ところがここゴメリでは、こ の稀に見る深刻な疾患が、どんどん頻発するようになっていたのです。私はユーリーと仕事から帰って議論したものでした。ユーリーは「健康な子供達を調べて みよう。幼稚園に通っている子供達だ。」と提案しました。そこで私達はゴメリ保育園の乳幼児を診察しはじめ、彼らの心電図を記録しました。さらにはズロビ ン、スヴェトロゴルスク、そしてヴェトカ市の子供達を調べました。そうやって私達が発見したのは、健康な子供達の60パーセント以上の心電図に変容の見ら れることでした。
心電図は病理を記録します。私達はこのデータの隣りに、子供達の器官から測定されたガンマ線の量(これはセシウム137に よって放射されるものです)を書き込んで両者を比較してみたところ、明確な一貫性を確認することが出来たのです。不整脈は、セシウムの蓄積が高い子供に現 われるのでした。(高いというのは20Bq/kg以上を考えています。)この不整脈はブロックの形で現われます。ヒス束の右脚ブロックや房室ブロックで す。刺激伝導系の障害と心筋の脱分極化障害とが組み合わさっている子供もいました。セシウムの蓄積量が多いほど、心電図に現われる異常は深刻だったり複雑 だったりするのでした。

インタビュアー:そして あなたはそうした事実の解明が引き起こす政治的な危険を予測されたわけですね?

ガ リーナ:そうなのです。まず私は怖くなりました。そう、家族のことを思って怖かったのです。自分自身の身が怖かったわけではありません。何故なら研究の指 導教官は夫だったのですから。私は夫に「ねえ、もしかして急に何かが間違っているとしたら?私達はどこかでミスをしているのかもしれないわ。世界に向けて この発見を発表するのに…」と言いました。彼の答えは「我々がミスをしていることなんて有り得ない。調査のベースになっている心電図の量は膨大だ。」と言 うものでした。

ユーリー:心臓について研究をしているのはガリーナ一人ではなかったことを付け加えておきましょう。私の学部には他の研究者による一連の論文や研究が存在するのでした。私が最新の著書の中で指摘したように病理解剖実験や動物実験も存在します。
インタビュアー:ではあなたは確信を持ってらしたのですね?

ユー リー:そうです。こうしたすべての研究に基づいた科学的確信です。しかし放射性セシウムの体内蓄積と心臓疾患の相関関係については、こうした子供達の調査 結果をベースに彼女と初めて研究したのでした。例えば心電図の束を取り上げ、その一つ一つに心臓に蓄積した放射性物質の量を記入しました。[心配そうに] 呼び鈴が鳴った…

ガリーナ:大丈夫、子供達よ。

ユーリー:こんな感じです。20Bq/kg  とか34Bq/kg…それからパラメーターに即して分類しました。(グラフを見せながら)このような結果になりました。このグラフが現在の結果を表してい るのです。これはベラルーシ全国から集めたデータをもとに実現させました。ゴメリやグロドノだけのデータではないのです。ミンスクや数多くの他の場所も含 む膨大な量のサンプルです。私達の得た結果によると、キロあたり0~5ベクレル(測定器の誤差も考慮に入れて)前後の被曝量ならば、子供達の80%  は心電図にいかなる
異常も示しません。セシウムがまったく存在しない場合は、85%の子供達が多かれ少なかれ正常に成長することを保証できま す。しかし体内のセシウム量が増加すると、健康な子供の割合は係数に従って減少していくのです。セシウムの量がキロあたり70ベクレルを越えた場合、健常 と言える状態の心臓は10%足らずになってしまいます。

インタビュアー:この相関関係は一貫しているのですか?

ユーリー:そ うです。あらゆるデータに基づいています。それも因果関係以上の、ほとんど科学的法則と呼んで良いくらいものです。因果関係と言うのは多くの傾向が類似す る場合を言います。分量と変容との間の因果比率です。このことは以前にも示されていました。しかし現在わかったことは、私がいかなるデータを使用しよう と、いかなるグループのデータを取り上げようと、この分量と変容との関係が係数に従って動いていることです。この相関関係の一貫性はすでにひとつの「法 則」の要素です。さらに付け加えたいのは、心臓だけでなく脳やその他の器官においても、新陳代謝のシステムや酵素の活動の調査を行うと、同じ現象が観察さ れることです。しかし残念ながら、私には…我々には今のところそれを証明するための資金がありません。

インタビュアー:他の器官でもですか?

ユー リー:そうなんです!ところが我々に十分な調査用の器具がないのです。これを調べるには膨大な労力が必要です。私達はまだ発見の扉口に立っているのに過ぎ ない。ここに私の弟子達の調査の成果が山とあるのにも関わらず。これで全部ではないですが、大部分がここに含まれます。心臓について、そしてその他の内臓 についてのデータがここにあるのです。

ガリーナ:セシウムとの関係を表すデータです。

ユーリー:この数年間我々が実現し得たことがこれらの論文の中にあります。私にとっては大変な価値です。本以上の価値です。何故なら論文というものはそれぞれきちんと検証された具体的な一次資料に基づいて書かれるものだからです。非常にレベルが高いものです。
インタビュアー:つまり他の器官についても研究することが出来たのですね?

ユーリー:そうなんです!

インタビュアー:今心臓の話をしていただきました。そして「残念ながら」とおっしゃるのは…?

ユーリー:我々は研究が続行できないのです。大変費用の掛かる研究だからです。例えば免疫システムの研究には非常に高価な特殊な器具が必要です。それから酵素の研究、内部分泌システムや肝臓や腎臓の酵素を研究するには生検も必要です。そして何よりも中枢神経。
インタビュアー:そうした研究はすべてやりかけなのですか?

ユー リー:その通り。どれ一つ取っても世界中に情報を提供できる重大な研究の糸口なのに。科学研究は無限です。我々があらゆることを発見したなどと言うにはま だ程遠い状況なのです。こうした研究は人々に限りない助けをもたらすはずです。心臓に関して言えば、心臓疾患による死亡者は大変多く、実際に起こっている ことが我々にもわかっています。

インタビュアー:(ガリーナに)あたなは科学的真実を拒絶しようとしていたことをご自分でわかっていらっしゃいましたか?

ガリーナ:はい。 
インタビュアー:発見しなかった方が良いと思われたのですか?

ガリーナ:ええ…そうです…
インタビュアー:ある意味でご自分を守るために?

ユーリー:彼女はそれを感じていたんだ。

インタビュアー:どのように決着がついたのでしょうか? 

ガ リーナ:私は彼に「このことは全部忘れてしまいましょう」と提案したのです。そしたら彼に「それでは君は医者として失格だね。医者として失格だと自覚でき るなら学位証書を返却して、中庭の掃除でもすればいいさ」と言われました。この言葉には大変傷つきました。私は医者になることをずっと夢見てきたのです。 医学部に登録できるまで3年も掛かりました。難関でしたから。ですから彼にそう言われて「いけない」と思いました。「それなら何かしなければ」と。そう やって、この研究が私の博士論文になったのです。
すると次の問題が発生しました。私は論文をほぼ書き終え、製本をしてベラルーシの科学者達 に紹介し始めたのです。グロドノの博士論文審査委員やミンスクにも委員会があります。そこで何と言われたかわかりますか?「悪くない研究ですね…。しかし タイトルを少し変える必要があるでしょう。”放射性セシウムとの関係”と言う表現はまずい。”放射能汚染地域に生きる児童における心臓血管システムの機能 状態”に書き換えなさい。」ですって!

ユーリー:被曝量も書いてはいけないと言われた。

ガリーナ:そう、被曝量も消しなさいといわれました。ただ子供達に異常が見られるとだけ書くように。現在のままの形ではあなたが論文審査に合格できる保証は出来ませんと。
インタビュアー:何の説明もないまま? 

ガリーナ:ええ、何の説明もないままです。 

ユー リー:真実を明かしたくないために我が国ではこういう行為が起こるのです。近年、医学生物学に関する研究著作は数多く執筆されていますが、まさに今、この 問題に関する真実を知られたくないのです。この論文が国の外に出ては困るのです。私は事実を列挙するだけのテクストには反対です。事実を列挙することは科 学ではありません。単なるジャーナリストの統計と同じです。科学とは、パラメーターが何であろうと相関関係を証明することです。一貫した論理をたどるもの です。

インタビュアー:原因を解明することですね? 

ユーリー:その通り、原因と結果との間の関係を解明することです。それが発見です。パラメーターを調査することも出来ますが、その組み合わせと相関関係を証明することこそが科学です。そして相関関係が多いだけに科学の価値もいっそう大きいのです。

インタビュアー:彼らはチェルノブイリを隠蔽したいのですね?

ユーリー:おそらくそうだと思います。 

ガ リーナ:私は自分の国を思って悲しくなりました。この研究を発表した時、日本人が参加する学会で発表を行ったのです。彼らは即座に私の研究に興味を示し て、ユーリーに会いに来ました。「5分ほど質問に答えていただけますか?論文のグラフも見せていただきたいのですが。」と。そしてとても興味深い質問がな されました。「あなた方は心電図に異常が発生し、実験においては心臓細胞が破壊されることも観察されました。さらに先まで研究は進んでいるのですか?細胞 はどのレベルで変容を起こすのでしょうか?ミトコンドリアのレベルですか?」等々です。恐らく日本人達も研究を進めているところで、仮説を想定していたの だと思います。私達の研究は彼らの仮説を推し進める刺激になったのでしょう。とにかく私達の研究は日本の科学者達の間にとても大きな波紋を投げかけまし た。

ユーリー:彼らは録画も行った。

インタビュアー:インタビューと録画を行ったわけですね? 

ユーリーとガリーナ:そうです。

インタビュアー:資料も見せたのですか? 

ユーリー:彼らは我々、ガリーナと一緒に大学で二日間仕事を行いました。休みなしにぶっ続けで。

インタビュアー:正確にはどんな仕事をしたのですか? 

ユー リー:絶え間なくカメラを回していました。実験の展開とその論理について、くまなく録画していました。当時はもちろん今ほどまだ結果がありませんでした。 お陰様でそれ以来研究はさらに進んでいます。しかしこの論理については、彼らはくまなく録画して行きました。日本の主要な科学系テレビ局の一つでした。 チェルノブイリについての番組で、ゴールデンアワーに放映が予告されていました。 

インタビュアー:それで放映されたのですか?

ユーリー:知りません。

インタビュアー:ビデオを送る約束はしてくれましたか?

ユーリー:誰も何も約束しませんでした。

インタビュアー:頼まなかったのですか? 

ユーリー:私はただ「許可はあるのですか?」と彼らに聞いただけです。録画許可は得ているという返事でした。 

インタビュアー:地方当局による許可ですね。

ユーリー:そう。

インタビュアー:それで、あなた個人は?あなたの発見を彼らに明かしたわけではないですか。 

ユーリー:頼んだのですが、ダメだという答えでした。 

インタビュアー:何が?

ユーリー:その場では録画したものを私達に渡すことは出来ないけれど、後で送ると言われたのです。

ガリーナ:まだ編集が出来てないからと... 

インタビュアー:いつのことですか? 

ユーリーとガリーナ:1996年です。 

ネストレンコ:編集はまだ続いてるんだ。 

インタビュアー:四年も前!あなた方は騙されたのではないですか!

ユー リー:わかってください。当時、逮捕されるその日まで、私にとっては人々にこの事実を知らせることが一番大事だったのです。誰がそれを世に出すのかは問題 でなかった。バンダジェヴスキーだろうがバンダジェヴスカヤだろうが、シドロフあるいはペトロフだろうが。我が国の子供達がどんどん死んでいるんです!統 計やデータを収集し、後年その分析をすることだって出来ました。過去のどこかで起こった事に関する研究として。「いつか役に立つだろう」と言うことで。し かし今現在私達が研究を進めることはずっと重要なのです。この研究によって、どうやって今日生き続けたらいいのかが示されるのですから。今日この日から。 これは今日、今現在のための研究なのです。そしてもしかしたら明日は、多くの別の国民のための…私は駆け引きなんてしたくなかった。私は彼らが正直だと信 じることにしたのです。どのような形で公表されるかなど、私にはまるで興味はありませんでした。それで朝から晩まで二日間ぶっ続けで彼らと仕事をしたので す。

ガリーナ:彼らに私達の発見をプレゼントしたようなものです。

ユーリー:発見だろうとなかろうと関係なかった。

ガリーナ:あなたが日本人に見せたものはまったく新しいことだったわ。

インタビュアー:筆記資料もすべて渡したのですか?

ガリーナ:いいえ。彼らはユーリーの見せたことをすべて録画していきました。 

インタビュアー:つまり筆記された資料は持っていかなかったのですね? 

ガリーナ:いいえ、写真に撮影して行きました。

ユー リー:写真も見せました。当時は今のような写真はなかった。この写真は国会のシンポジウムで既に見せましたが、とても興味深いものです。腎臓組織の中の空 洞、”解けた氷”だ。[訳注:バンダジェフスキー博士は、腎臓の重要な構成要素であるネフロンがセシウムによって破壊されることを発見し、セシウムの毒性 に接したネフロンが氷のように解け、腎臓組織が穴だらけになる様子を”解けた氷”と表現した。ソース]正常なネフロンの構造がすでに変容しはじめているの がわかる。これはネズミを使って行った実験です。こちらは人間の組織が初期の萎縮を起こしている様子です。これは大きな空洞の出来た子供の心臓です。

ガリーナ:死んだ子供ね...

ユーリー:そう、死んだ子供の心臓だ。同じような間質液出血が成人の筋肉内空間で見られる。

インタビュアー:この枝のようなものはあってはならないのですね? 

ユー リー:もちろん!これは欠陥です。これは出血症の様子です。止血障害です。子供の骨髄内出血、副腎皮質出血です。他の写真も同じようなものです。これもま た”解けた氷”。別のケースです。すべて私達が撮影し、大学で大きな看板に張り出しました。学生達が見て知ることができるように、すべて図画化もされてま す。

インタビュアー:撤去されたのですか?大学の指導部が変わりましたが。

ユーリー:指導部は変わりましたがすべて撤去はされていません。すべて壊されたわけではありません。指令は下ったのですが…。

ガ リーナ:指導部と言えば、ユーリーがすでに監獄に入れられた後ですが、ゴメリ大学で大々的な検査が行われました。すべての学部が検査されました。もちろん 科学部もです。そして委員によって最初に下された結論は「現在実施されているプログラムは高等教育機関にふさわしいものではない」と言うものでした。そし てプログラムの変更が余儀無くされたのです。

インタビュアー:そのプログラムとは十年間あなた方が行ってきたものではないのですか?

ユーリー:もちろん。

ガ リーナ:でも彼らは大学ではまるで科学的な教育が行われてこなかったと結論したのです。そのことが強調されました。高等教育機関にふさわしい基礎となる方 向性のはっきりしたグローバルなテーマが欠けているといわれ、もちろん誰も抵抗はしませんでした。そこで私は立ち上がって同僚達に言い渡しました。「ここ に大勢お集まりのみなさん、みなさんは全員この土地にお住まいです。ここに住み、子供を持ち、子供を育てていらっしゃいます。やがて孫も生まれてくるで しょう。大学の私達の研究テーマは現状の中でどのように生き延びていったらいいのかを調べ、示すものだったのに、大学にふさわしいものではなかったと仰る のですか?」彼らは「ガリーナ・エルゲイエヴナ、あなたはたぶん誤解されてるのです。テーマが満足なものでなかったということについて。ただ、新たな学長 の意見は、もっと広範で柔軟なアプローチが必要だと言うものです。今までのテーマは幅が狭すぎ、高等教育機関のレベルには達していないと言うことなので す。」と答えたのです。それが彼らの弁明でした。「それと子供や孫達に関するあなたの非難は口外されないことを忠告します」と。

インタビュアー:”非難”と彼らは受け取ったのですか?

ガ リーナ:私は言いました。「私が子供に目を向けるのは小児科医だからかもしれません。私はまず第一に子供達、子供とこの国の未来に関することを守りたいの です。私達がまず心配しなければならないのは子供達に何を残すかということです。」と。けれども、ここでは別の考え方がなされているのです。一番研究費の 潤沢なテーマこそ、私達の研究テーマには資金は提供されていなかったのですが…

インタビュアー:資金と言えば、どうされていたのですか?

ガリーナ:どうしたと思われますか?私達は”私腹を肥やしていた”…と警察は信じさせようとしています。

ユーリー:その話はしてはいけない。

ガ リーナ:私の責任にしておいて。私達はゴメリで私腹を肥やしていたことにされているのです。いったいどうやって?汚染されていない地域からやってきたか ら?ここに家族を連れてきたから?それとも国家からこのなんとか用を足しているアパートを与えられたから?どこに私達の財産があると言うのでしょう?私達 が慢性の病気に苦しんでいるから?甲状腺の手術をしました。

インタビュアー:あなた御自身が?

ガリーナ:ええ。それに腫瘍の せいで別の婦人科の手術も受けました。この十年間で私達が蓄えたものなんてそれだけです!他の人々はこう言っていました。「良い奨学金を手に入れて、意味 がなくても自然と資金が集まるようなテーマを選ぼう。たとえひどいテーマでも資金が潤沢に出ればそれを研究しよう。」と。目下、私達の大学が目指している のはそれです:潤沢な研究費用。新しい学長の悪口を言いたくはありませんし、立派な人なのかもしれませんが、彼が言うのはこんなことです。
「私 達がこれからなすべきことはサービスバンク、データバンクの作成だ。それをコンピューターに取り込んで、誰かの役に立てるようにするのだ。」私が「どうい うことですか?」と聞くと「ガリーナ、子供達のグループを調査してきなさい」と言います。「喜んで。ヴェトカ地方が私達に割り当てられています。そこに 行ってきますが、調査のための器具をください。私は器具もコンピューターも持っていません。心電図の用紙さえないんです。」と言うと「それならば出資者を 探しなさい。それがダメならば耳だけで調査すればいいのです。子供達を聴診して来なさい。」ここでの研究はまさにそうやって行われるのです。仕事に使える ものと言ったら自分の手と聴診器しかないんです。

ネストレンコ教授と同じ厳重なコントロール下にある地方の調査に私達が赴いた時、打ち合わ せをしていたわけではありません。教授はスヴェティロヴィッチ学校にセシウムを計測に、私達は子供達の聴診を行いに来ていました。心電図の用紙が不足して いたので、私達は子供達を選別しました。聴診器を当て、心臓が悪い、雑音のある子供をメモしました。まあまあ正常の場合はメモをしませんでした。そうやっ て出来た書類にネストレンコ教授の放射線量を合わせてみたところ、選抜された子供達は被曝量の非常に高い子達だったことがわかりました。被曝量の低い子達 は私達の選択から外れていたのです。そして心電図に高い被曝量が記入されました。30の心電図を記録しました。今はこの子供達を医療検査のために招集して います。

心臓疾患は、繰り返しますが、臨床表の過半数を占めています。子供達の心臓は病んでいるのです。鼓動の音がせず、脈がはっきりしま せん。聞こえるのは雑音です。心臓が変容していくのです。私達に出来ることはなんでしょうか?それを確認し、診断を下すことです。機能的心臓疾患と。私達 はこうした変容をまだ機能障害と定義していますが、それが器官の異常に発展しないためにはどうやって子供達を助けたらいいのでしょうか?この問題を気に掛 けてくれる人間は誰一人いないのです。

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