2012年11月21日水曜日

特捜部よりスゴい!裁判所の暴走[ dot.(AERA×週刊朝日) ]

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特捜部よりスゴい!裁判所の暴走
(更新 2011/10/12 17:55)
http://dot.asahi.com/news/politics/2012092600584.html
◇全文引用


 東京地裁が「有罪」の判決を下した翌日(9月27日)、小沢一郎・民主党元代表の元秘書3人、石川知裕・衆院議員 (38)、大久保隆規被告(50)、池田光智被告(34)は揃って判決を不服として控訴した。公訴事実を否認し続けてきた3人なのだから、控訴するのは当 たり前--と見る向きもあるだろうが、内情はちょっと違う。

「実は、現役議員の石川さんはともかく、大久保さん、池田さんは判決の内容次 第では控訴しないという気持ちもありました。大久保さんは『無罪』とみられてましたし、池田さんは、すでに政治の世界から距離を置き、第二の人生のために 税理士の勉強を始めてましたから。だけど、判決があまりにひどかった。裁判所が認定した小沢事務所の『天の声』、そして『裏ガネ授受』は明らかに事実と違 う。彼らも、断じて認めるわけにはいかなかった」(小沢氏周辺)

 そう、3人が揃って控訴したのは、今回の判決に、絶対に看過できない「事実誤認」があったからなのだ。

 石川議員は本誌インタビュー(別記事参照)で、
「自分の行為に対して(法律上の)認識の違いはあるでしょう。だけど裁判所は、なかったことに対して"やっていたはず"という。これは恐ろしいこと」
 と訴えた。ありもしないことを、勝手な推測で「あった」と決めつけられたのであれば、黙っていられないのも当然だ。

  本誌はこれまで再三、「検察の暴走」の危険性を訴えてきた。しかし、裁判所ならば、もろもろの証拠を精査して、きっと妥当な判断を下すものだろうと考えて いた。ところが、驚いたことに検察、裁判所をひっくるめた「司法ムラ」では、まったく別の論理が幅を利かせているようなのだ。

 今回の判決のポイントは二つある。おさらいしよう。

(1)西松建設の違法献金事件の背景事情として、東北地方の公共事業での受注決定の際、小沢事務所が談合による本命業者の選定に決定的な影響力を持っていた。さらに、大久保被告が業者を決める「天の声」を出す役割を担い、ゼネコンから多額の献金を受け入れる窓口だった

(2)小沢氏の資金管理団体「陸山会」を巡る土地取引事件では、その背景事情として、小沢氏の地元の「胆沢ダム」建設工事受注に絡み、中堅ゼネコン・水谷建設から、04年10月に石川議員に、翌05年4月に大久保被告に、それぞれ現金5千万円が渡った

 --と断定したうえで、陸山会の土地購入の原資となった小沢氏からの借入金「4億円」について、〈原資不明の4億円での土地取得が発覚すれば、裏献金や企業と癒着して資金集めをしていた実態が明るみに出る可能性があるため、隠蔽をした〉とも認定した。

 政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪に問われた3人の判決は、石川議員に禁錮2年執行猶予3年、大久保被告に禁錮3年執行猶予5年、池田被告に禁錮1年執行猶予3年だった。

 しかし、これがどうにも耳を疑いたくなる"独善的"な認定なのだ。元検事の郷原信郎氏が言う。

「一 言で言うと"ストーリー判決"です。物事を単純化してストーリーを描いて、無理やり調書にすることで特捜部は批判された。しかし、この判決は裁判官が描い たストーリーに沿って、調書によらずに、臆測・推測、さらには妄想に近いものまでも認定している。こんなのがまかり通るならば刑事裁判をやる意味はありま せん」

 ジャーナリストの魚住昭氏もこう語った。

「正直、驚きました。裁判所の事実認定どおりならば、悪質かつ巨額の賄 賂があったわけで、贈収賄事件ですから、実刑になるべきですが、執行猶予がついた。事実認定と刑が乖離している。初めから有罪ありきで考えてるから、こう いう認定をしなくてはならなくなるんです。『疑わしきは被告人の利益に』が裁判の大原則なのに、『検察の利益』になっている」

◆賄賂があるなら贈収賄に問え◆

 ここまでボロクソに言われている判決だが、こうなった理由は単純なようだ。
「結 局、『水谷マネー』の部分をなくしてしまうと、虚偽記載の動機の悪質性が希薄になり、量刑が罰金刑くらいまで落ちてしまう。それでは政治資金収支報告書の 修正程度の"形式犯"だと批判され、そもそも処罰価値があったのかという議論が再燃することになる。裁判所は、検察のメンツを立てたのです」(魚住氏)

 この裁判で最大の焦点となった「水谷マネー」を詳しく見てみる。

  そもそも検察は、陸山会の土地購入原資「4億円」に、水谷建設から石川議員に渡ったとされる「5千万円」が含まれているというストーリーを描いていた。し かし、捜査段階でその事実を十分に解明できず、小沢氏自身の起訴も断念した。それを虚偽記載の「背景事情」として滑り込ませたにすぎなかった。

「と ころが裁判所は今回、裏ガネを渡したという水谷建設元社長の証言について『他の水谷建設関係者の証言とも符合する』と認定し、『事実無根だ』とする石川さ んの供述は信用できないと一掃した。しかし、"他の証言"で確認できるのは、会社から5千万円が出て、東京支店に運んだことまで。金銭授受の目撃証言はあ りません。弁護側の証言台に立った水谷建設の水谷功元会長は『見届け人を付けなかったのは、うちのやり方と違う』と過去の贈賄を白状してまで証言し、元社 長の"5千万円着服"を示唆している。そこまでおかしな話が出ているのに、一方的に石川さんにカネが渡ったと認定するのは到底ムリです」(先の魚住氏)

 実際、判決要旨を精読すると、「動機」や「共謀」を認定する文末は、
「--が強く推察される」
「--とみるのが自然かつ合理的」
「--とは到底考えられない」
 といった、あやふやな表現のオンパレード。裁判官の脳内ストーリーで事実認定をされたのでは、たまったものではない。

 元東京地検特捜部長の宗像紀夫弁護士も、こう言う。

「裁 判所は『天の声』や『水谷マネー』など間接事実について、かなり"大胆"に認定している。しかし、どのような証拠に基づいて認定したのか、判決要旨を読む 限りわからない。さらに奇異に感じたのは、小沢さんが用立てたとされる4億円を『本人も明確な説明ができていない』という理由で不明朗なカネと認定したこ と。常識ですが、このカネの性質について立証責任を負うのは、被告側ではなく100%検察です」

 言ってみれば、痴漢冤罪でよくあるパ ターンである。当事者同士は「やった」「やってない」の水かけ論で、捜査側の立証も不十分。ほかの目撃証言は「女の子の隣に立っていた」「腕が動いたよう に見える」という程度で何の客観的証拠もないまま、有罪になるようなものだ。こんな判決がまかり通れば、私たちも、いつ身に覚えのない事件に巻き込まれて もおかしくない。恐ろしい判決なのだ。

◆無罪が覆ったら"大減点"になる◆

 さらに、ジャーナリストの江川紹子氏も驚愕したのが、石川議員、池田被告と大久保被告の「共謀」認定だった。

「判 決は、大久保被告が陸山会の土地取引に絡んで、不動産会社との交渉などにかかわっていたことから、石川議員と4億円を隠蔽することについて『意思を通じ 合った』と決めつけ、その半年後の報告書に虚偽記載する共謀までできあがったと断定した。そんな証拠がどこにあるのでしょうか」

 これは、危ういとしかいいようがない。先の郷原氏が、こう付け加える。

「結 局、『水谷マネー』を隠そうとしたのが虚偽記載の動機になっていますが、まったくのこじつけ。胆沢ダム工事前後に政治資金報告書に『4億円』を記載したら マスコミに『水谷マネー』を追及されると恐れて時期をズラしたとしています。でも、まともなマスコミであれば、公共工事を巡る裏ガネ疑惑など余程の根拠が なければ報道できないことは、当のマスコミの人たちがいちばんよく知っていることでしょう。大久保氏と池田氏の『共謀』に至っては、推論を超えて、"どう せ暴力団みたいなもんだから、あいつらつるんでるだろう"と思い込みで認定しているに等しい。刑事裁判史上に残る『画期的判決』だと思いますよ」

 いったい、なぜこんな判決が生まれてしまったのか。横浜地裁判事だった経験もある井上薫弁護士が、こう指摘する。

「衆 目を集めている裁判だと、ウケを狙って筆がすべってしまう人がいるんですよね。後世のために、などと訓示をたれるのが好きな人が。一方、ふつうの裁判官は 10年か20年に一度しか無罪判決なんて書かない。裁判官といえども一介の公務員であり、その人事評価は『減点主義』です。もし無罪を書いて高裁などで ひっくり返ったら大減点。前例尊重で思い切った判決なんて書かないほうが出世するんです。だから、思い切った判決を書くときは、意外と定年間近の裁判長は ひょうひょうとしていて、『自分は先があるのに』と渋るのは右陪席です」

 今回の登石郁朗裁判長(57)は1985年に裁判官に任官し、06年から東京地裁の部総括判事を務めている。「エリートコースを歩み、手堅い」(裁判所関係者)との評がある一方、「官僚的で上ばかり見ている」(別の関係者)とも言われる。

 一方、裁判長の右腕といわれる右陪席は市川太志裁判官(49)。91年に任官し、札幌高裁判事などを経て08年から東京地裁判事になった。こちらは「将来を嘱望されるエース級」(同前)と言われる。

 今回の判決において2人がどのような相談をしたのか知る由もないが、無罪判決の難しさについては、先の宗像弁護士もこう語る。

「私 が弁護した佐藤栄佐久元福島県知事の裁判でも、二審では『無形のわいろ』として賄賂額を実質ゼロと認定しながら、結局、有罪判決を出した。裁判所が検察の 顔を立てるというか、バランスを取って『有罪』の形だけ残したと思いました。この事件に関しては、検察が作り上げたまったくの冤罪だと考えている」

 裁判所になにが起きているのか。再び語るのは、先の井上弁護士である。

「検 察に気を使う裁判官も多いんですよ。まず、お互いに公務員同士、さらに立ち会い検察官なんてずっと顔を合わせていますから、自然に仲良くなることもある。 裁判官室に出入りする検事も多いし、逆に、裁判官が検察官に電話をして『この証拠が足りないから補充捜査したほうがいいよ』なんてアドバイスすることもあ る。弁護士側にそんなことをする裁判官はいません。司法の独立なんて建前だけなんです」

 新聞各紙は判決について、〈裁判員裁判の導入により、裁判所は供述調書よりも客観証拠や法廷での供述を重視する傾向を強めている〉(9月27日付読売新聞)などと評価している。

 しかし、言うまでもなく、裁判員裁判であろうとなかろうと、刑事裁判で求められるのは、法廷に出てきた証拠を客観的に精査して有罪かどうかを冷静に判断することである。そこには当然、推定無罪が働く。今回のような結論は到底、導き出せるわけがない。

 こんな判断が当たり前になったら、国民は安心して暮らしていられない。いま本当に必要なのは、裁判所の改革なのではないか。  (本誌・大貫聡子、鈴木毅)

週刊朝日から全文引用

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