2012年9月4日火曜日

神話の果てに 東北から問う原子力/響く爆発音、始まる悪夢 放射能汚染が現実に<河北新報

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神話の果てに
東北から問う原子力

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/index.htm
響く爆発音、始まる悪夢 放射能汚染が現実に (2012/03/13)
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/20120313_01.htm



水素爆発を繰り返し、大量の放射性物質を拡散させた福島第1原発=2011年11月12日

<生きて帰れないかも>
 「生きて帰れないかもしれない」。東京電力福島第1原発自衛消防隊に所属する男性社員は、思った。
 昨年3月12日午後3時36分、1号機原子炉建屋が爆発した。同じ現場で注水作業をしていた協力企業の社員が、血を流して免震重要棟に運び込まれた。
 早朝から注水作業に駆け回っていた。津波で全電源を失い、通常の手段ではもう原子炉を冷やせない。ポンプ車の水は底を突く寸前だった。
 第1原発の緊急時災害対策本部からの指令は「水を探せ。海水でなく真水を」。1~3号機の防火水槽を見て回り、訓練用の模擬原子炉も調べた。

<無責任なこと言うな>
 最初はポンプ車で水を集め、ホースを1号機タービン建屋の送水口に取り付けて原子炉に送ったが、効率が悪い。次に、かき集めたホースをつなぎ、水源-消防車-送水口のラインをつくった。放射線量が高くなり、作業は交代制になった。
 「免震棟に戻ってちょっと休憩したら、またすぐ現場へ。寝てるんだか起きてるんだか、訳が分からない状態だった」
 12日午後2時55分ごろに真水が尽き、津波で構内にたまった海水を注入するラインに切り替えた。1号機爆発は、その数分後。爆発でホースが損傷し、海水注入は夜までずれ込んだ。
 「ドーンという建物が倒れるような音だった」と証言するのは、免震棟にいた別の協力企業の男性作業員(32)。直後、「全員、2階の会議室に入れ」と指示を受けた。400~500人いた。
 午後4時すぎ、テレビで1号機の爆発を知った。「うそだろ」。近くにいた原子力関連メーカーの社員がつぶやく。
 腹が立った。「おまえらが造ったのに、無責任なことを言うな」
 前日は3号機の原子炉建屋で働いていた。会議室には対策本部が置かれ、吉田昌郎所長らが詰めた。夜、所長と東電本店などとのやりとりを耳にした。
 「水がない。冷却できなくなる」
 「ポンプ車を送った」
 「ポンプ車はある。水がない。すぐそこにある水(海水)を使っていいなら、すぐ入れる」
 「待ってくれ」

<何で防護服なんだ?>
 免震棟は寒かった。12日未明、男性作業員が自分の車で暖まろうと外に出ると、防護服姿の人が放射線を測定している。
 「何で防護服なんだ?」と構内用の携帯電話で東電社員に聞くと、それには答えず「すぐ免震棟に戻れ」。対策本部から「水素を抜かなくては」という声が聞こえた。
 免震棟の喫煙室にいた14日午前11時ごろ、腹に響く重低音を聞いた。「3号機だ」と周囲が口々に言った。対策本部の様子から、3号機が危ないと知っていた。爆発後、「退避命令が出る」とささやかれ始めてもいた。
 午後8時ごろ、吉田所長は協力企業に伝えた。「これ以上お願いすることはない。各社の判断で逃げてくれ」
 政府の事故調査・検証委員会中間報告によると、吉田所長は1~3号機が「チャイナ・シンドローム」に陥ると考えたという。
 炉心溶融(メルトダウン)した核燃料は原子炉も格納容器も突き破り、とめどなく地中を下りていく。「米国で事故が起きると、地球の裏側の中国に達してしまう」。チャイナ・シンドロームは、例え話で最悪の原子力事故を指す言葉として使われてきた。
 翌15日、4号機も爆発し、福島県内の放射線量が急上昇した。膨大な放射性物質による深刻な汚染。悪夢が、現実となった。

 ◇ ◇

  1~3号機が相次いでメルトダウンした福島第1原発事故は前例のない放射能汚染をもたらし、多くの人々に痛みを押し付けている。東北には国内全原発の約4 分の1に当たる14基が立地し、その全てが東日本大震災で被災した。これまで「安全」を信じ、立地による地域振興に期待してきた東北は、これから原子力と どう向き合っていけばいいのか。空前の事故を検証しながら考える。(原子力問題取材班)

2012年03月13日火曜日

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