2012年9月4日火曜日

神話の果てに 東北から問う原子力/第1部・不作為(2)過信/全電源喪失、直視せず<河北新報

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神話の果てに
東北から問う原子力
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第1部・不作為(2)過信/全電源喪失、直視せず
2012年03月15日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/20120315_01.htm


電源を失い、自動車用バッテリーで原子炉監視の計器を作動させていた1、2号機中央制御室=2011年3月22日(東京電力撮影)
<防水対策を怠る>
 「意外に見過ごされているのが、浸水による機能障害。防水を考慮していない電気系統などが塩水で障害を起こす」
 津波工学の第一人者、首藤伸夫東北大名誉教授(77)は1988年、電力土木技術協会の会誌にそんな論文を執筆した。
 土木学会の原子力土木委員会「津波評価部会」で主査も務めた首藤氏は津波が原発を襲うことを想定し、ことあるごとに電源系統に防水対策を講じるよう訴え続けた。
 「原発はどんなときでも確実に冷却系を動かさなくてはならない」
 評価部会にいた電力会社の技術者は困惑して言った。「先生、何を言い出すんですか…」。福島第1原発事故が起きるまで、津波による浸水対策は軽視され続けた。
 首藤氏は「万一に備え、多額の投資をしろという主張は、経済性の前に意味をなさなかった」と残念がる。
 2004年12月、スマトラ沖地震でインドネシアが巨大津波に襲われた。この時、福島県双葉町出身で元東京電力社員の木村俊雄さん(47)=高知県土佐清水市=は「福島県沿岸が同じような規模の津波に襲われたら…」とぞっとしたという。
  木村さんは05年1月、知人の発行するミニコミ誌に寄稿した。巨大津波によって「冷却用海水ポンプや非常用電源などの機能が喪失し、メルトダウン(炉心溶 融)に至る。福島県内の原子炉10基が、ほぼ同時にメルトダウンするかもしれない」。メルトダウンした原子炉の数は違うが、福島第1原発事故を言い当てて いた。

<「大丈夫」と強調>
 京大工学部で原子力工学を専攻した衆院議員の吉井英勝氏(69)=比例近畿、共産党=もスマトラ沖地震をきっかけに、災害時の原発では、冷却系統と電源系統がアキレスけんになると考えた。
 国会で何度も指摘したが、政府は「大丈夫」と繰り返すだけだった。
 安倍内閣が06年12月に閣議決定した答弁書が典型例だ。「複数の外部電源と非常用発電機があるので、原子炉の冷却が可能」と言い切っている。
 原子力安全委員会も「長時間の全交流電源喪失は、送電線の復旧または非常用電源設備の修復が期待できるので、考慮する必要はない」との姿勢を変えなかった。
 電源は常にバックアップが機能し、送電施設は短時間で復旧する。福島第1原発事故は、それが過信にすぎなかったことを示した。

<30分で回復想定>
  東日本大震災で福島第1原発は外部からの送電がストップ。非常用のディーゼル発電機が原子炉の冷却装置などに電気を供給したが、地震から約50分後の昨年 3月11日午後3時40分ごろ、到達した津波は非常用発電機を襲った。全ての電源を失い、原子炉は冷却不能となりメルトダウンした。
 仮に送電が早期復旧したとしても、メルトダウンは避けられなかった可能性が高い。政府の事故調査・検証委員会の中間報告によると、1~5号機の高圧電源盤はすべて海水をかぶり、原子炉の冷却に必要な設備や機器類に電気を供給できなかったからだ。
 東電が仮設電源で原子炉に注水できたのは最も早い2号機で3月27日夕、最も遅い1号機では29日朝だった。
 原子力安全委員会の安全設計審査指針で考慮されたのは「短時間」の電源喪失だけ。過去の台風や落雷による送電設備の被害を基に「約30分間で送電線復旧や電源修復が可能」と見込んでいた。

2012年03月15日木曜日

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