2012年9月4日火曜日

神話の果てに 東北から問う原子力/第1部・不作為(3)依存/施設が集中、危機連鎖<河北新報

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神話の果てに
東北から問う原子力
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第1部・不作為(3)依存/施設が集中、危機連鎖
2012年03月16日金曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/20120316_01.htm


事故前の福島第1原発1~4号機。集中したプラントは連鎖的な危機に陥った=2002年
<同時対応、想定外>
 「日本では同じ敷地に複数のプラントがあることが多い。ほかのプラントと(電源を)融通するなどの対応を事業者に求めている」
 地震・津波で全ての電源が失われ、原子炉を冷やせなくなったらどうするか。2006年10月の衆院内閣委員会で、質問を受けた鈴木篤之原子力安全委員長(当時)が答えた。
 福島第1原発は1~6号機まで6基のプラントがあった。安全委の理屈では全電源喪失のリスクは低減されるはず。だが、これまでの政府の調査からはプラントの集中が危機の連鎖を招き、事故への対処を遅らせた現実が浮かび上がる。
 福島第1原発は運転中だった1~3号機が全電源を失い、冷却不能となり、各号機で同時にメルトダウン(炉心溶融)が進んでいった。
 東京電力は電源車を手配し、12日未明から2号機の電源盤にケーブルを接続する作業を始めた。注水ポンプを作動させて、各原子炉の冷却に使おうとした矢先の12日午後3時36分、1号機が水素爆発した。電源車とケーブルが損傷、注水ポンプによる冷却作戦は失敗した。
 14日午前11時1分には3号機も水素爆発し、2号機に水を入れようとしていた消防車と注水ラインが使えなくなった。
  政府の事故調査・検証委員会の中間報告は、各プラントが代わる代わる危機的な状況に陥り、事故対処が後手後手に回った状況を指摘している。吉田昌郎所長 (当時)らは経済産業省原子力安全・保安院の調査に「複数プラントへの同時対応は想定外だった。作業員の数も足りなかった」と証言した。

<新規立地困難に>
 国内の商業用原発17カ所にあるプラントは計54基。このうち30基は福井(4カ所13基)、福島(2カ所10基)、新潟(1カ所7基)の3県に設置されている。特定地域への原発の集中と、各原発へのプラント集中は無関係ではない。
 17カ所はいずれも1950~60年代に地元自治体が誘致するなどして建設された。70年代以降に持ち上がり、実現段階まで進んだ新規の原発計画は電源開発大間原発(青森県大間町、建設中)しかない。
 70年代に入ると反原発運動が活発になったことに加え、米国のスリーマイル島原発事故(79年)や旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(86年)の影響で原発の安全性への不安、不信が広がり、新規の立地計画は候補地住民の理解を得られなくなっていった。
 事業者側にとっては新たな立地場所がないのなら、既にある場所に増設するしかない。プラントを集中させることには、設備や送電網を共用できるなど経営面での利点もあった。

<無視できぬ課題>
  青森県の原子力安全対策検証委員を務める谷口武俊東大大学院客員教授(リスク管理)は「国も事業者も『過酷事故は起きない』と思考停止し、プラントの相互 依存にどんなリスクがあるか、ほとんど検討してこなかった」と指摘。「自治体の防災計画見直しでは(プラント集中のリスクは)もはや無視できない。今後、 確実に大きな課題となる」と語る。
 同時多発した深刻なトラブルに対処できず、被害が拡大した福島第1原発事故は、新規立地が難しくなる中、既に立地している地域に依存する形で進んだプラントの増設・集中が災害リスクを高めていたことを物語っている。

2012年03月16日金曜日

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